うまくいかないこと

2003年10月13日
大人になればなるほど、うまくいかないことがでてくる。

それはもう子どもみたいに無邪気さだけで進んでいけないということなのかな。

気持ちに嘘をつくつもりはない。
格好つけるなんてもってのほか。

ただわからなくなるだけ。
自分がいま立ってるところや、自分がいま存在している、その瞬間がわからなくなることがあるだけ。

悩ましくてごめんね。

筆不精

2003年10月12日
まったく筆不精になったわ、私ったら。

英国にいるときには、毎日誰かに手紙を書いたり、メールしてたり、毎日誰か、かれかからエアメールが届いたりしてたのに…

気が付いたらすっかり筆不精な私。

今日、Raffaellaからメールがきていて、私から全然連絡がこないって嘆きの内容だったわ。
そうね、夏にトスカーニャから葉書を貰ったのにもかかわらず、レスもなんにもしてなかったわ。私としたことが…

お恥ずかしい…

まぁ今年は仕事を辞めたのがきっかけでかなりバタバタさせてもらってるわ。人生の中で一番体力と気力をつかってるかもしれない。だからといって、これが筆不精に繋がるとは言えないんだけれどね。

この癖直さないといけませんことよ。

昨日はTシャツのデザイン案をサクサクとしたあと、今日合格がおりました。お金にはならない仕事でも私の語学力を期待してくれているのには、本当に感謝しなければならないわ。

脱筆不精を目指そう〜♪

書きとめること

2003年10月11日
文章を書きとめること。
自分のことを伝えたいという気持ちから。

文章を綴ること。
今感じているものをリアルタイムで知ってほしいから。

読み返すこと。
私の日々を反省できるから。

もっともらしいことを言ってるけれど、結局、私はだらだらと書きながらも何かを訴えたくてたまらにのかもしれない。

心の叫びを。

心の渇きを。

昨日

2003年10月10日
昨日から調子がすこぶる悪かった。

ついに今日、日銭を稼いでる?!オフィスを休む羽目に…

朝、全然電話が繋がらない。
まぁそのはず。私が朝一で鍵をあけていたのだから、その当事者がなくて閉まっていたのだろう。休むことを告げてつい数分前まで布団のなかでうずくまっていた。

こうなるから恐い。

体調管理は自分の責任だというけれど、いくら医学が発達したってどうしようもない状況を事前に避けることは難しい。

苦しい体と戦いながら布団の中でそう考えていた。

あぁ

いつになったら楽になるんだろうか。

生き残るために

2003年10月8日
ちょっと肌寒かった昼下がり。
今日、パレードを見逃してしまった。

今年の夏に一緒にガードをした高校生の次の世代の子達がでるって聞いてたから、少し期待をしていたのに見逃してしまった。

あぁ…

なんでも人手が足りないらしく、存続が危ぶまれているという話し。

生き残る為にはいろんな手を使わなければならない。

魅力あるものへと。

自分の所属しているところも同じであろう。
同じ志をもって、同じものへと追求する気持ちや、成功や美を知っているものならば団結するであろう。

それが欠けているような気がする。
見せかけなら、いらない。見せかけなら、見せかけから本物に変えていけるようなことをしなくてはいけない。そう考えていた。

心が通えるものを通して、何かを次に残したい。
生き残るためにも、自分のためにも。

八方美人

2003年10月7日
まわりのみんなに好かれようとするからややこしくなる。

そんな事を考えていた今日のお昼。

私は八方美人タイプなのかしら?と真面目に考えた。

出した答えは、一つだけ。

『来る者拒まず。〜the door is open for all of you!』

だから悩ましいんだってね。笑
あぁ最近暇さえあれば、『悩ましい』という言葉を使うかも…ちょっとしたブームかな。

人間には色んなタイプがある。
だから素晴らしいし、毎日に色がでてくるんであろうと思う。

合うタイプ、合わないタイプ、合わせやすいタイプ、合わせ難いタイプ…本当に人は色々。
その人ごとに、その人の持ち味があって、いいところがある。だから普段から人を恨んだり、嫌悪感は持ちたくない。その人を否定することになるから。

八方美人かもしれないけれど、私はどんなタイプの人がいてもいいと思う。

私もその内の一人だと思うし。


偶然

2003年10月6日
1月に同窓会があるとお知らせがきた。
もう10年もあってない人もいるし、どうしようか悩んでいるところ。

一部上場の企業で働いている人、自分で事業をおこした人、歌い手になった人、教師になった人、本当に多方面に渡って活躍しているみたい。

私にはどうしても忘れられない友達がいた。

サヤ。

彼女は私が長崎に住んでるときに、東京にいた。確か最後に連絡を取ったのは私が渡英する前。そこから音信不通になってしまった。

彼女はもともと転勤族だったから実元というのが定まっていない。だからどこに葉書をおくっていいのかわからずままになってしまっていた。

同窓会の葉書をもらったとき、サヤには届いていないだろうとさとった。

で、何気にネット検索してみたら…

いたのよ。彼女が。Web上に。

驚いたわ。本当に。写真があったから彼女だってすぐに分かった。今福岡にいることも分かった。

思いきって電話してみたの。

そしたらやっぱりサヤだった。
全然変わってなくて、彼女らしい口調で、ちょっとだけお互いの近況報告をしてさ。

あぁこの世界はやっぱり狭かった。

車の中で子どものようにこの状況を話したんだけど、これをちゃんと聞いてくれた大切な人に感謝。ありがとう。

去年の今頃。

2003年10月5日
去年の今頃は、まだ忙しい日を送っていた。

冬にあるコンサートの為に、ダンスの案を練っていた。

今年はそれがないから寂しいかな。
あの時間って子ども達と一体化できる大切なふれあいの場だったりしたし、誰にも邪魔されずに子ども達と向き合える時間だったから、あの子達のいいとところも、伸ばしてあげたい才能も見つけられて、私はまるで川で砂金をとるような感じだった。小さな可能性を、小さなダイヤの原石を探しに。

そんなことをちらりと考えた昼下がり。

ゆっくりゆっくりできた昼下がり。
うたた寝なんかしちゃってさ。

ゆ〜っくり。ゆ〜っくり。
あぁこれが幸せなんだろうなぁって感じた昼下がり。

明日も肌寒くなる予感。

留守番

2003年10月4日
今日はお留守番の日。

つまんないの〜ってずっと夕方考えながらアイロンがけをしていたら、あっという間に夜になっちゃった。

最近週末がすぎるのがとっても早い。
こんなはずではな〜〜〜いっ!

やりたいことは山のようにある。
すべきことも山積み。

さてと留守番はまだまだ続くのです。

物騒な世の中

2003年10月3日
昨日は頭痛のため日記はお休みしてしまった。
もう半年以上前からすると、私の頭痛はかなりな快方へと向かっているのだけれど、季節の変わり目や体調によっては頭痛と隣り合わせな日が続く。

さて物騒な世の中になったものね。日本も。

どこにいても物騒だなぁって思うところは沢山あるんだけれど、命を軽んじてると思えるような残酷なことが毎日めまぐるしく起こり、ニュースで流れる度にとても残念さや、明日はわが身ではないけれども身の危険さえも感じるようになった。

私が初めて身の危険を感じたのは、1996年スペインでのこと。

ハウスシェアをしていたベアとフリオを訊ねてスペインに休暇をつかって滞在していた。常に行動は彼女等の誰かが共にしてくれていたけれど(スペイン語は私の範囲に入ってないし)ある日、私は英語もままならない彼女達の妹と一緒に地下鉄に乗った。

物乞いをする人はヨーロッパでは少なくない。数年間住んでいたイギリスのチューブでも同じ光景はよくみたし、少なからず免疫はできていたはず。

でも言葉がわからない、物乞いでずっと私から離れない、意思の疎通もできない…

背中がぞくぞくした。
もし一人だったら…と考えると身震いする。

これが初めての身の危険だった。母国である日本ではまだなかった初めてのこと。

その翌週、イギリスへ戻ってチューブで郊外へ出る途中に物乞いの人に遭遇した。

変な話、あぁこのくらいわかればなぁってちょっと感じたり…

私の住む街でも、決して安全とは言いきれない、でも住みやすくするのも、住み良く改善するのも私を含めた住民の手。安心して暮らしたいものだ。

ただいま夜9時45分をまわったところ。

我家は所謂住宅街に位置しているのでちょっとした車の通りや通行人の声がよく聞こえる方だと思う。

目の前の某メゾネットで親子喧嘩が始まった。

えっらい大きな声で叫びちらかしてくれてるせいで、ご近所一同本当にえらい迷惑をしていた。どんどん観客も増えて、本当に酷い騒音と化していたので私も外にでてみた。

もう既に一部始終をみている近所のおばちゃんにことのなりゆきを聞き、なんとか話しについていこうとする私。

なんでも門限を巡ってのことらしい。

わからなくないけどな。
あの位の子は夜更かしだってしたい年頃だろうしどんなことにでも興味深々。

でも私があのくらいの時には今の時間に帰宅というのは部活の遠征帰りとか、特練のあととかしか考えられなかった。うちも同じように厳しかったし、私自身あんまり夜遅く帰るのは好きではなかったから。帰って宿題だって予習だって、山のようにすることはあったから。

でも親からすると切実なんだろうなぁ。

私はまだ子をもつ親ではないから、その気持ちは100%は分からないけれど、教師として働いた5年間子ども達にかける思いとか、こうなってほしいとかいう希望を胸に毎年送り出していたから、新しい学校でがんばってると聞くと嬉しかったし、あまりよろしくない情報を耳にすると、とても胸が痛い。きっと教師でない今でも送り出した子すべてには親心がついているのだと思う。

親のこころ、子しらず

いつの時代にもありえること。
きっといつか親のありがたみとかあの時の言動のすべてがわかるようになる。

いつかね。


頭が

2003年9月30日
頭がボーっとする。
これって風邪の前兆なのかしら?

そういや喉も痛い。

こんな時に風邪なんかひいてられないのよ。やらなきゃいけないこと沢山あるし、考えたいことだって沢山あるの。

困ったわね。

でも昔からそうなんだけど、庶民系の風邪を滅多にひかない私。いつもかかる病気はちょいと重め。
風邪だと思って病院にいくと、今まで聞いたことのない病名を下される。ありがた迷惑とはこのことで、病名を知らないからそこからスタート。

今年始めもえらいものにかかってしまったものね。
それがきっかけでいろんなものが変わってきたのは事実だもの。

風邪になる前にちゃんと栄養とって寝ないとね。
あ、明日は歯医者の予約もあったんだ…

秋と冬

2003年9月29日
私は11月生まれなのでかろうじて秋生まれになるのだけれど、最近はめっきり朝晩が冷えてしまい、日の暮れも早くちょっと損した気分。

朝一でお湯を沸かす音がすき。

秋が短く感じるのは気のせい?

冬に入る前に秋を堪能したいから、もうちょっと秋晴れの日を沢山作ってもらわないと!

冬は落ち葉を踏んで音がするのが大好き。

今からの季節が実り多きものになりますように☆

わがまま

2003年9月28日
私は聞き分けのいい子として今まで育ってきた方だと思う。長女ということもあって両親の溢れんばかりの愛情を受けながら今まで育ってきた。

でもいつしかそれは義務化されたものに感じた。

『いい子』でなければいけない。
期待通りに、期待を裏切るようなことはしてはいけない。

これもそれもきっと両親を悲しませたくないという子ども心だったのかもしれない。

そんな私はかなり両親の期待を裏切ってきた。

教師になって欲しいという希望
勿論先生ではあったけれど公立ではなかったし、ジャンルが違っていた。

口答えしないという約束
周りからすれば口答えしない方なんだろうけれど、思わず意見してしまったときに、両親がこんなはずではなかったと初めて絶望感を言葉にしたときに、しまったと思った。

世に出て恥ずかしくないようになれという約束
これまた別に恥ずかしいとは自分で思ってないけれど、親はそう思うのかな…

そんな間違いだらけの私が辿った道は決して両親の希望するものではなかったけれど、私なりに模索して選んだ道で胸を張って自慢できる。

でもそれと引き換えに私は人に対してわがままをいうのが下手になった。
どんなに心許す相手でも、うまくわがままがいえない。甘え下手なのかな…

それがひきがねに意見が食い違うときもある。
でも決して本心で喧嘩しているわけでもないのに。
ただ私がうまく伝えられないだけなのに…

ごめんね。

これが言いたかった今日の一言。

伝えなきゃ。

空港にて

2003年9月27日
今朝早起きして空港へむかった。

最近は諸事情ありで早起きすることが習慣づけられているので5時過ぎに目が覚めてしまうこともしばしば。休みの日はゆっくり寝ておきたいけれどそうもいかないしで。

さて昨日の日記にも書いたように今朝は旅立つ友の見送りに空港へ。

あと数十分でゲートへ移動する彼女は少し晴々としていて、でも別れるのが辛そうな感じ。その気持ちもよく分かるな…

少し早めについた私は同じく早めについた彼女とばったり食事処であったので少し話をした。これまでのこと、気持ちの整理のこと、旅立つ前に話しておきたいこと、これからのこと…

ほんの半年ちょいの付き合いだったけれど、おおらかな器をもつ彼女はとても人懐っこく、私ともすぐに打ち解けた。私のお粗末な言語にもよく付き合ってもらったし。

見送りゲートには沢山の人が来ていて、私もすっかりご無沙汰している多くの方に挨拶をしながら、ちょっぴり少し離れたところで彼女がさよならする姿をみていた。

やっぱり別れは苦手だな、私。

帰りの車の中でちょっと複雑な気持ちだった。
もちろん別れが苦手な私だから、こんな苦しい思いとかもするんだろうけれど、小さな要因となっているのは私が抱えている不安材料があるのかなとか思ったり…

今度はいつ会えるだろう。それまで遠く離れたここから彼女の活躍を祈ってる。

うまくいえないこと

2003年9月26日
学生の時から友達とさよならするのが苦手。

いつだってそうだった。そこから離れる友達を見送る役目は私。

初めて共同生活をしたベアもフリオも、ずっと一緒に勉強してたラフェイラもキアラも、みんな、みんな私が見送って、さよならしていった。

勿論再会してるけれど、見送った後の心の穴はすっぽり大きくて、虚しくて、辛かった。

そして明日また帰っていく人を見送る役目。

上手くさよならできないから、もうさよならというのは止めようと決めている。きっとどこかで会えるから、きっとまた昔のように笑えるからと希望をもって。

明日、悲しいな…

困ったちゃん。

2003年9月25日
何故だか分からないけれど、私が作る環境にはいつも決まって『困ったちゃん』イコール、かなり困った人がいる。

こんなご時世だし、この世界には色んなタイプの人間がいても可笑しくはないし、それでこそ成り立つんだと思う。

でもね〜人に迷惑を掛けるような困ったちゃんがいると困るんだわ。せめて自分で停めていただければと時に思う私。

決してその『困ったちゃん』を嫌いではない。きっと表現の仕方が下手だったり、自分をだせる方法が困らせることしかできないのであろう。時にはそれが羨ましく、可愛く見えたりすることもあるし。人にご迷惑をかけない程度ならOKなのだ。

私は色んなタイプも大体OKな人。悪くいえば八方美人。職業柄、人をえり好みすることはないし、いつか分かり合えると思えば心を開く。分かり合えるまで待つ。その位の気長さはある。

さてどう転ぶかは本人次第。



楽観的

2003年9月24日
“悲観からは何もうまれない”

私が尊敬する恩師からよく言われた言葉の一つ。
私は人が思うより楽観的ではない部分がある。
昨日書いた日記と重複するかもしれないけれど、慎重に物事を考えるようになったから楽観的に物事をすべてはさばけなくなった。

毎日、私は何人の人と話をするだろう。

毎日、私は何人の人とすれ違うのだろう。

そう思うと私が過ごす1日は、とても意味深く、これこそが充実したものなのかもしれない。

人生と例えると長く、これからのことが予測できないものもでてくるので重たく感じるであろうけれど、1日で例えると、『こうしとけばよかった』『ああしとけばよかった』と反省点も多い。

今、毎日が、1日が過ぎるのが早い。1日が勿体無く感じるときもある。大切な人と、大切な時間を過ごしたり、新しいことの発見をしたり、今までにない違う経験をしたり…

これから私は楽観的にいけれるように私の前の未知な道のりをゆっくり歩いていこう。背中には沢山の素敵な思い出と、これからおこりえるであろう困難に立ち向かうときの為のエネルギーを背負って。


パワー

2003年9月23日
色んな意味で新しい事を始める時パワーがいる。

少し前までは勢いで色んな事を片付けてきてしまった私。まぁ『あの頃は若かったからね〜』っていえばそれまでかもしれないけれど。

好きな時に、好きなことを、やりたいことを周りを見ずにサクサクサクッと乗り越えてきた。

大人になった、いや、『純粋削ぎ落とし人生ゲーム』にのっかってしまった年齢になると非常に慎重になるのかもしれないね。

よく石橋を叩いてわたる、っていうけれど、ちょっと前までは石橋を叩かずに渡りきったあとに、右手にハンマーを持って『あ、叩くの忘れてた〜』って呑気な感じだったような…

でもちなみに石橋を叩いている人をみて渡るかどうか判断する賢い人もいるだろうけれど、私は絶対該当しないかな。自分で確かめてみたい探究心は誰よりも強いし。

今は直前まで叩いて危なくないか危険度を確認して安全圏なら進むっていうスタイルに傾いている。昔みたいに勢いはなくなったのかな、やっぱり。

昔はね、1日に何件も用事を重ねても全部こなせてたんだわ、これが。NJCに籍を置いてたときは、自分の専攻の講義+幼児教育の公聴生で出席、昼間は研究室に入り浸って、夕方からマー練。夜はその仲間達と食事をしたり、我家で飲みがあったり… 盛り沢山な生活してたわ。

今は1日に優先順位をつけて行動してる。数ヶ月前まで私はウルトラ多忙な生活をし、人間生活からかけ離れていたから、優先順位をつけることによってゆっくりおだやかな生活を送ってる。全てにパーフェクトでなければと思い秒刻みで動いていたけれど、今現在でも充分に対応できて、もっと心の余裕がでてきた。

パワーがなくなっているわけではない、勿論勢いは弱まったかもしれないけれど、私が体内温存をしていて次なるハードルを越えるときに使おうと企んでいるのね。きっと。

次のハードルはいつかしら。


例えば

2003年9月22日
私はどちらかと言うと個人競技がわりあい性にあっていると自分でおもうことがあった。

でも第3者からみると、団体競技でしょう?っていわれることもあったり… まぁそりゃそうかもしれないな。やっていることが団体や集団で表現することだからね。

ずっと走りつづけていたのかもしれない。
横道それず、真っ直ぐ。真っ直ぐに。
一人で走りつづけているうちに、何がゴールなのか
どこに走りつづけているのか、何を目標とするのか
分からなくなることもあった。
でも見えないものへ走りつづけることで
私が抱える不安とかを少しずつ両脇に落としていこうとしていたのかもしれない。
その傍ら、私は強がっていたのだと思う。

今は違うけどね。

今は二人三脚かな。そう今朝言われて、なるほどって思った。そういう表現ありだなって。
でも私がやってる二人三脚の結んでいる足は二本の足ではなく共有する足1本って感じかも。私の足でもあり、パートナーの足でもあったり。

そんなことを考えてた1日。


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YU

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